初めての聖地訪問を振り返って(前編)
最近ある本を読んでいて、初めてアレヴィーの聖地に行った時のことを思い出した。そこで町の人に言われてずっと引っかかっていたことが、そういうことだったのかと解けた気分になったのだ。今回はその時の記録を元に色々と振り返ってみたいと思う。
2015年の3月、卒業論文を控えていた僕は、アレヴィーの人たちが聖地のように考えているハジュベクタシュという町に行った。当時は政治問題の観点からアレヴィーを考えようとしていたが、一度もアレヴィーに会ったことがないのは良くないと思い、急遽旅行を計画したのだった。
ハジュベクタシュは、トルコの中部のネヴシェヒル県にある人口1万人ほどの小さな町で、有名な観光地カッパドキアのほんのすぐ北にある。首都アンカラからだとバスで4時間くらいのところだ。
まずアンカラのバスターミナルからネヴシェヒルのターミナルまで行き、ハジュベクタシュにはもう一本バスを乗り継ぐ。アンカラからだと大した距離でもないのになぜか夜行便を選んでしまったため、早く着きすぎてしばらくオトガルで数時間待ちぼうけとなってしまった。待ち構えているカッパドキア・ツアーの業者をやり過ごし、ハジュベクタシュ行きのバスを待った。
朝一番のバスにさっそく乗り込み、10リラ(当時は約500円)を払う。1時間くらいの距離だが、その間にはクズルウルマク河という大きな河を見ることができ、実に美しい光景だ。当時は「ついにアレヴィーの聖地に行ける」という興奮から余計に美化されて見えたのかもしれない。
ハジュベクタシュには宿がないと聞いていたので、着いた後どうしようかと考えながら目抜き通りをぶらぶらと歩いた。アンカラで以前「そういう時は町役場に行け」と言われたことを思い出し、役場で町長に会った。とても親切な女性で、町の資料をくれた上に、町の学校関係者が泊まる寮に泊めてもらえることになった*1
町の名は、ハジュ・ベクタシュ・ヴェリという13世紀の聖者から来ている。彼はベクタシー教団の由来となっているほか、アレヴィーにとってはあらゆるオジャク(聖なる系譜のこと)の源流として崇敬されている。なお、ベクタシーとアレヴィーは同じ集団なのか、ハジュ・ベクタシュ・ヴェリは全ての源流なのか、オジャクとは何か、といった重要な問いがあるのだが、これらはおいおい答えていきたいと思う。
僕が泊まった教員寮の隣には羊農場の事務所があった。歩いているとすぐに呼び止められ(トルコあるあるだ)、中でお茶をもらった。パトロンのおじさんは立派な口ひげをたくわえていかにもアレヴィーという風格で、壁にはアリーの剣(Zülfikar)を模した飾りがかかっている。ちなみにこの剣はアレヴィーにとって重要なシンボルで、トルコの街でそんな形のピアスやネックレスをしている男を見かけたらほぼ確実にアレヴィーだ。中二病っぽく見えるかもしれないが、必ずしもそういうわけではない。
昼前になって、作業から帰ってきた男たちがエトリ・エキメキ(ひき肉を薄く塗った長いパン)を食べ始めた。食えというので遠慮しながらも腹いっぱい頂いた。焼きたてでとてもおいしかった。
目立つターバンを巻いた人がいたので不思議に思って聞いてみると、彼はシリア人だという。仕事がないというから手伝ってもらってるのだそうだ。
当時は何とも思わなかったのだが、店の名前はHaydar Oğulları(ハイダルの子孫)だった。ハイダルはアレヴィーによくある名前だが、これは聖アリーに対する字名だ。*2
ここまで書くといかにもアレヴィーの土地!という感じがするのだが、僕が「ジェムエヴィ(儀礼の場)にはよく行くんですか?」と聞くと、「まぁたまに。気が向いたら」という答え。アレヴィーの聖地なのだから、さぞかし熱心な信徒がいるのだろうと思っていたので、どちらかというと気のない返事を意外に思った。
教員寮には食堂がないので、ネヴシェヒル大学の女子寮の食堂に行って食べなさいと町役場で言われていた。翌日、朝ごはんを食べにそちらへ行ってみた。ちょうど休暇中で寮にはほとんど人がいない。厨房にいる人たちも暇そうで、僕に話しかけてくれた。
女子寮の面倒を見ているBさんは地元出身で、コンヤの大学を卒業した。物腰やわらかで、控えめな印象だ。話しかけてくれたので、朝食を食べながらしばし話をした。
「どこに泊まっているの?」
「町の教員寮です。あまり宿がないと聞いたのですが、役場が使わせてくれました。」
「それはよかった。デデ(=宗教指導者)の家に泊まれればよかったのかもしれないけど、夏にしか帰ってこないからね。冬は都会に住んでる。ところでなぜここに来たの?」
「卒業論文でアレヴィーの政治問題を扱いたいのですが、その前に色々見ておきたいと思いまして。それにしても色々複雑でよくわからない...」
「私もそう思う。難しいテーマだし。」
「そうですね、でも面白いです。ところでジェムエヴィに行ったりはするんですか?」
「私は全然行かない。ハジュベクタシュの住民で行く人はほとんどいない。ジェムエヴィに行くのは町の外から来た文化協会関係者だけ。アレヴィーのテーマは政治も絡んで面倒なのに、なんでこんなテーマにしたの?今からでも遅くないし、別のテーマにすれば...?」
彼女はこの町の住民の一人にすぎないし、この町について一般化して話すことはできない。しかし以前イスタンブルのジェムエヴィで見た熱い雰囲気がこの町にないと感じられたのも確かだ。聖地に住んでいるということを誇る人がもっといてもよさそうなものだ。この時の違和感を、当時は調査がうまくいかなかったのだと思っていたが、最近読んだ本で、実はこれが重要なことだったということを知った。次回はこのへんをもう少し詳しく書ければと思う。
後編はこちら。